人生☆ポップアップ

ヒラメキ・トキメキ・ワクワク…感じたことを素直に表現するためのブログ

宿題をやる前に、宿題をやる先には何があるか知ることが大切。絵本【宿題魔神】を通して子どもに伝えたいこと。

いつも、ご来訪ありがとうございます。

 

息子の話が続きますが…。

とりあえず、今週の魔の月曜日はなんとか乗り越えられたので、来週の月曜日まで、そのことについて考えるのをやめようと思っています。

www.popup-life.com

 

ですが、小学校での悩みネタは尽きることがありません。

 

それは、

『宿題』の問題!

 

息子は現在、小学一年生。そしてすでに宿題が大嫌い。

でも宿題は、特別なことがない限り、毎日出ます。

まだ小学一年生なので、量はさほど多くはないと思うのですが、学校から帰ってきたら、必ずやらなければいけないという強迫観念がまず嫌みたいで、学校から家に帰ってくるのが毎日憂鬱ときました(汗)!

 

なので、月曜日の朝は、学校へ行くのが憂鬱。

そして、月曜日の下校後、家に帰るのが憂鬱。

と、月曜日は本人にとって史上最悪な一日だそう。

 

私は、自分の小学生時代、宿題を忘れて怒られたという記憶がなかったので(実際はあったと思うが、覚えていない)息子にも「やりたくなければ、やらないでいいんじゃないの?」と本人を励ますつもりで言ったのですが、

 

『そんなことできるわけないじゃん、本当怖いんだから~!』

と、ビクビクしながら意味深な言葉が返ってきたので、真相を聞き出すと、どうやら宿題を忘れるとペナルティを下されるとのこと。

 

  • 宿題を忘れると怒られる(それはまぁわかる)
  • 宿題を忘れると一人一人席を立たされる(吊し上げ?)

 

宿題を忘れてしまうのは、小学一年生にしてみれば、決して確信犯的なことではなく、まだ習慣がついていないだけであったり、学校の疲れで宿題をしないでそのまま寝てしまって忘れたりと、宿題が出来ない理由の方が多いような気がします。

 

今年の春まで幼稚園で無邪気に遊んでいた子たちが、果たしてそんなに早々と切り替えができるのかなぁとちょっと疑問に思ったり、どうしても大人目線ではなく子供目線で物事を考えてしまう私がいます。

 

おそらく、私自身が小学生時代に感じていたこと思っていたことと照らし合わせても、理不尽にしか思えないからかもしれません。

 

私の小学生時代は「子どもは遊ぶのが勉強」だと思っていたし、放課後はいつも遊び回っていました。大人も広い心で見守っていてくれていたような気がします。そのおかげで私自身も遊びから学んで活かされていることが今でも多くあり、寛大な大人たちにとても感謝しているくらいです。

 

しかし、今の時代はそうではなさそう(><)

 

そもそも、宿題の本分って、先生を喜ばすためのものでもなければ、人と競うものでもないし、自分自身の向上のためにあるものだと思うのですが、どうなのかな?

 

少なくとも、うちの息子は、宿題をやる意図は、先生に怒られないためにするものだと思ってしまっています。そこで私が何か言ったとしても、実際に制裁を受けるのは、息子自身なので、私ができることというのは、宿題を忘れないように見守るのと、わからない問題を一緒に考えることくらいしかありません。本当に無力な母ですまない。

  

小学生低学年のうちは、宿題なんて必要ないと私は思っているのですが、みんながみんな(大人)がそう思っているわけではないので、宿題を無くすことは不可能だと思いました。

 

なぜなら、上の娘が小学生だった頃にも宿題に関する問題が挙がり、親の考え方がそれぞれ違うので、そこを統一するのは難しいと思ったからです。

 

大まかにいうと、

●宿題を少なくしてほしい派

●宿題をもっと増やしてほしい派

と、真っ向からの対立意見。

 

双方には、それなりの正当な理由があるので、学校側も対応するのは本当に大変だと思いました。

  

なのでせめて、宿題を忘れた子を皆の前で怒るのはやめた方がいいと思っています。

 

中学年以上ならまだしも、小学一年生に委縮させるほど、宿題に対して重圧をかけてしまうと、たとえ、学力が上がったとしても、子供たちの今後の精神面が心配です。

 

すでに、子ども時代の環境が今後の人格形成に影響があるとわかりきっているのに。

 

今しか見ていない現在の教育には限界があるのかもしれません。

 

そんな、現在の教育に対する不信感をブログにぶつけることしかできない小心者の母ですが、私なりにできることをいろいろ考えていました。

 

そして、今日、小学校の読み聞かせがあったので、このような本を読んでみました。

【宿題魔神】
 
主人公は、宿題をいつも忘れてしまう、まなぶ君。
 
夢はマンガ家。
だけど「宿題をわすれるようでは、マンガ家にはなれないよ」と担任の先生からストレートに怒られ撃沈。
 
しかし、宿題を忘れてしまうまなぶ君は、仕事で忙しく帰りの遅い両親と優しかったおばあちゃんが天国に行ってしまい、誰も宿題を教えてくれる人がいなく、勉強が苦手だという切ない背景があったのでした。
 
 そんな、まなぶ君の前に突如現れたのが、自称「宿題魔神」と名乗る不思議な人形。
 
まなぶ君の元気のない姿を見て、やってきたようです。
 
「宿題魔神」は、まなぶ君のよき相談相手として、声をかけたり励まします。
 
そして、何事にも最後まで諦めないで頑張った人が夢を掴むことができると教えてくれました。
 
宿題を最後まで頑張ってやることは「最後まで頑張る力」をつけることだと理解したまなぶ君は、宿題を前向きに取り組むようになりました。
 
わからないところは「宿題魔神」が教えてくれたので、まなぶ君は、最後まで宿題を終わらせることができました。
 
こうして、自信のついたまなぶ君は夢に一歩近づくことができたのでした。
 
果たして「宿題魔神」の正体とは?

 

もちろん、先生へあてつけるための絵本として読んだわけではありません。

 

でもいろいろな事情があって、宿題ができない子もいるということはわかってもらいたいという気持ちは私の中にもどこかあったかも。

 

それとそもそも「宿題をすること」ってどういうこと?ともう一度子ども達に考えて理解してもらえるには、直接的に訴えるよりも、絵本のような間接的なアプローチの方が伝わりやすいかなと思いました。

 

そして、先生よりも近所のおばちゃんの方が、あまり重くならなくて済むのではないかと。

 

絵は結構シュールですが、お話しはとても道徳的です。

絵の描写もとても細かく、読むたびに楽しい発見があります。

中表紙には「宿題魔神」の四コマ漫画や楽しいイラストが描いてあるので、持っていたくなる本だと思います。

 

子ども達は、目をまん丸くして、絵を隅々まで見ているようでした。

そして、読み終わった時「もう一回コール」をしてくれた子もいました。

子ども達一人一人にどう響いてくれたか、それはわかりませんが、子ども達が「宿題」に押しつぶされないで、たくましく育っていって欲しいと願うばかりです。

 

「宿題魔神」の作者のおおつぼかずみさんは、ご自身も小学生時代は勉強が苦手だったらしく、宿題魔神が来てくれたらと思っていてこの絵本を描いたそうですよ。

『魔の月曜日』の朝の登校、我が家はこんなことして乗り越えています。

いつも、ご来訪ありがとうございます。f:id:yumedokei:20171016135051j:plain

今日は小1息子にとっては、魔の月曜日。

しかも雨。

昨日の日曜日から天気予報はチェックしていたので、今日という日を無事に乗り越えられるか祈る思いでした。

 

息子が月曜日に登校を渋る理由を記事にしていますので、よかったらご覧ください。

www.popup-life.com

 

雨の月曜日というのは、息子が登校を渋るには皮肉にも最適な日(大安)。

ですので、息子が起きてくる前に、

長靴→OK

の雨具→OK

の自転車→OK

と、雨の日3点セットの確認をぬかりなく行いました。

これで、遅刻する息子を学校に連れて行く準備も完璧です。

あとは、息子が起きてくるのを広い心を装いながら待つだけでした。

 

しかし、なかなか起きてこない。

 

おまけに、中学生の娘も起きて来てこない。

 

しかしタイムリミットは過ぎたので、子ども達を起こしに部屋へ向かうと案の定、二人ともまだまだ深い眠りに入ったまま。

 

夏の寝苦しさから解放され、ようやく最近熟睡できているのだと思いますが、起こさないわけにはいかないので、まずは娘の方から起こすことに。

 

しかし昨夜、娘は趣味の漫画を深夜まで書いていたので、簡単には目を覚ましませんでした。ここは心を鬼にしてと布団を引き剥がした途端、なんと息子が目を覚ましました!

 

娘を起こしたはずなのに、なぜか息子が起きてしまったので、私は思わず大爆笑。でも、これで息子を起こす手間が省けたので一石二鳥。

 

娘は意外と目覚めは良い方なので、私が笑っている最中に目を覚ましました。

 

息子はというと…。

 

今日は雨で寒いので、大好きなスーパーマリオの新しいトレーナーを学校に着ていけると大はしゃぎ。

 

どうやら息子は、昨日からマリオのトレーナーを着て行けるかどうかが気になっていて、早めに目が覚めていたようです。しかし、姉がまだ眠っていたので、まだ寝てていいのだと勝手に思い込んでいたそうです。

 

それにしても、かなり拍子抜けの私。

 

息子の遅刻に合わせた雨の日3点セットは何だったのか…。

 

子どもは、思いどおりにはいきませんね(笑)

 

でも、結果オーライです(^^)

 

マリオになった息子はルンルンしながら、定刻通りに自ら登校班の列へと並びに行きました。

 

そこで今回、私なりに勉強になったなぁと思ったことがありました。

 

月曜日に学校へ行くのが楽しみになるように、子どもの好きな物(学校へ持って行ける物)は、なるべく日曜日に用意して、月曜日へのイメージトレーニングを親子でし、モチベーションを上げてあげること。

 

息子の場合、楽しい休日が終わってしまう悲しさと、月曜日からまた長い一週間が始まってしまうことが何よりツライとのことなので、とりあえずは月曜日の学校でのお楽しみを一緒に探してあげると、モチベーションも上がるのではないかと思いました。

 

月曜日の朝までは、日曜日の延長だと思わせること。しかし、学校へ行くと結局は現実モードに引き戻されるかもしれないけれど、息子の場合、学校へ行っている間は楽しく過ごしているようなので、月曜日の朝を乗り越えることができれば良しかなと思っています。

 

切り替えが上手なお子さんもいますが、うちの息子のように切り替えが難しいお子さんには、ひとつの方法としてありかなと思いました。

 

苦手な月曜日を乗り越えて行ってくれればいいなと思うお母さんたちに届いてくれたら嬉しいです。

 

今、息子はマリオが大好きなので、きっと今頃、休み時間に友だちとマリオこっごをやって、1アップキノコをゲットしながら楽しんでいることでしょう(笑)

人は確認作業でしか動かない。 ~革命のファンファーレ~

いつも、ご来訪ありがとうございます。

 

昨日に引き続き、キングコング西野さんの著書『革命のファンファーレ』について。 

 

一気読みした後は、自分との人生を照らし合わせながら、ずっと余韻に浸っていました。

 

そして、西野さんのブログや『魔法のコンパス』『革命のファンファーレ』に何度も登場したこの言葉がとても腑に落ちました。

 

「人が時間を割いて、その場に足を運ぶ動機は、いつだって『確認作業』で、つまりネタバレしているモノにしか反応していない」   

                       西野亮廣著『魔法のコンパス』より

 

 

例えば、ディズニーランドの新アトラクションとか、まだ一度も体験はしていないけれども、宣伝や口コミの評価、そしてあのディズニーランドなら裏切るわけがないという確信(信用)があるので、どんなに交通費をかけようと、どんなに長時間並ぶとわかっていても、足を運んでしまう。失敗はないとわかっているから。確かにこれも確認作業だなと思いました。

 

他にも、試してみたいけれど、得体のわからない新商品などは、試食品や試供品で無料配布することで、逆に購買力アップへと繋がったりと、昔からあるこの販売戦略も確認作業のひとつだったのですね。

 

そう考えると、たしかに人間て、冒険する前の事前準備って無意識のうちにしてるんだなと思いました。逆に情報が少なければ少ないほど警戒して手を出さない生き物というのも納得。

 

今、手作りでいろいろ作っていて、ハンドメイドマーケットプレイスなどでも販売しているのですが、認知度がさほどありません(笑)

 

ただでさえ無名なのに、売り方も何も考えないで、ただ「買ってください」と言われても、それにお金を出してくれる人なんて皆無ですよね。

 

『革命のファンファーレ』のサブタイトルでもある「現代のお金と広告」にもあるように、認知をしてもらえるやり方をきちんと考えないとただの自己満足で終わってしまいそうです。

 

もし本を買おうか悩んでいる方は、今、西野さんのブログで前半40ページを無料公開しているそうですので、参考にされてみてはいかがでしょうか。

 

確認作業ができるチャンスです。

lineblog.me

 

 

 

『革命のファンファーレ』一気読み。

いつも、ご来訪ありがとうございます。

 

昨日は中秋の名月。

そして、西野 亮廣さんの著書『革命のファンファーレ』の発売日でもありました。

十五夜と発売日に関連性を持たせたかどうかはわかりませんが、私にとっては10月4日はちょっとしたイベント日として、とても楽しみにしていました。

 

西野さんは、言わずと知れたお笑いコンビ「キングコング」の一人としてとても有名な方ですが、私はお笑い自体はあまり見たことがなかったので、レギュラーで出演していたテレビ番組ももちろん見たことはなく、ただコンビ名と名前だけは知っている程度でした。

 

どういう流れで、この本にたどり着いたかというと、話は長くなってしまうので簡単に。

 

最初は、西野さんの絵本「えんとつ町のプペル」を無料公開したことが、出版業界に革命をもたらしたという一件からとても興味を持つようになり、それ以来、時々ブログなどを訪れるようになったのですが、共鳴できる部分が多くあったのと同時に、面白いアイデアがポンポンと湧き出てくるその頭の中を知りたくなって、無意識のうちに魅了されていました。

 

かといって、暴走的ではなく、理路整然かつ説得力のある行動や思いが明確なので、学べることがとても多いと感じ、前作の「魔法のコンパス」を購入することに。

 

私の場合、普段の本を「頭で読む」とすると、西野さんの本は「腹で読む」という感覚に近いかもしれません。

 

一文一文、腹に落とし込みながら理解して読んでいる感じです。そして、とてもわかりやすい文章なのと、文字もさほど小さくないので、あっという間に一気読み。本当に面白い。

 

そして、今度は、辞書を引くように、もう一度読みたい章を探し、丁寧に読んで再度落とし込むという感じです。こんな読み方しているのは私だけかな?

 

それから何ヶ月か経って、また新刊が出るとの情報を得たので、とても楽しみにしていました。

 

そして、待ちに待った『革命のファンファーレ』の発売日。

子ども達が学校から帰って来る前に、また一気に読んでしまいました。

 

目次だけを見ると啓発的なタイトルもありますが、タイトルだけで相手の心をつかむのはさすがです。そして、それに勝る内容。

 

雑誌の特集のキャッチコピーのように、絶対中身を読みたいと思わせる説得力がタイトルから放出しているので、実際、惹かれるページから読みたい衝動にかられますが、まずは最初の章から順番に読むことをオススメします。

 

そして、実はすでにもう次の執筆に取りかかっているとのこと。

新刊を発売したばかりだというのに、ブログではさらにまた楽しい構想が語られています。

 

このスピード感をリアルに目撃していると、私自身もリアルにワクワクしてきます。そして、同じような志や感性を持っている人たちが惹かれるように繋がっていくので、見ていて嬉しい。

 

でも私はあくまで傍観者ですが。

 

それぞれが、独自のやり方で生きていながらも、最終的には繋がるところは繋がるんだなと。

 

西野さんもそうですが、これからの時代を引っ張って行く人というのは、今まではマイノリティで摩擦も経験してきた人たちかもしれません。

 

そして、いつの時代も先駆者には、アンチがつきものですが、西野さんの場合はそれすら仲間として取り込もうとしているので(しかもそれができる時代)面白い世の中になりそうだと思いました。

 

時代は見えないところで着実に変わってきています。

ものすごいスピードで変わってきています。

もちろん、価値観も変わってきています。

 

 そして、その変化に対応できるものだけが生き残り、対応できないものはそのまま変化の波にのまれ淘汰されて行くのはどうやら事実かもしれません。

 

しかし、対応するしないを決めるのは自分自身であって、対応することも人生の選択のひとつであり、また対応しないのも人生の選択のひとつなのですよね。

 

果たして、どちらの船に乗っていけばいいのか…。

 

自分自身に問いかけてみるしかないかな。

子どもと遊ぶ時間は、自分自身の子ども時代を遊び直す時間。

いつも、ご来訪ありがとうございます。f:id:yumedokei:20171004131951j:plain

今日は、十五夜お月さま『中秋の名月』ですね。

 

こちらは一日中、お天気が怪しい感じなので、子ども達は果たして、お餅つきをしているうさぎさんを見ることができるのかどうか、ちょっと心配です。

 

しかし、お月さまが見えても見えなくても、子ども達のメインは【お団子】なので、忘れず、学校へ行っている間にこしらえておこうと思っています(^^)

 

さて、最近の我が家ですが、ブームはもっぱらアナログゲーム(非電源系)。

 

やる時間帯はほとんどが寝る前なので、就寝前の儀式として浸透しています。

 

子供たちは、寝る前にこの儀式?をすることによって、安眠に繋がるらしいです。

 

以前は、就寝前の儀式の定番は、絵本の読み聞かせだったのですが、長女が中学生にあがると、6歳年下の長男向けの絵本が次第に物足りなくなり、たまたま頂き物のトランプで遊んでみたところ、意外と長男も理解することができたので、それ以来、絵本からトランプへとバトンタッチされることとなりました。

 

どちらにしても、6歳も離れていると、楽しめる本が一緒というのもなかなか難しいので、中学生になるまでよく付き合ってくれたなぁと長女には感謝しています。

 

それからは、長男が読んで欲しいとせがんだ時だけ読むようにしていますが、トランプなどのゲームの楽しさを知ってしまうと、そちらの方にどうしてもなびいてしまうので、なかなかお呼びがかかりません。なので最近は読み聞かせは閉店状態。寂しい。

f:id:yumedokei:20171004132030j:plain

 アナログゲームというと、まず思い浮かべるのが、カードゲームだと、王道のトランプUNO。そして、ボードゲームだと人生ゲームあたりではないしょうか

 

私が子どもの頃に親とやっていたゲームは、トランプかオセロかカルタ。むしろ、それくらいしか知りませんでした。

 

しかし、私にとっては、親との距離を縮めることのできる唯一のコミュニケーションツールだったので、楽しかったあの時代を思い出すたび、今でも胸がキューンとなります。そして、物との思い出というよりも、誰と何をしたかということの方が、記憶には残るものなのだとつくづく思いました。

 

 

私が小学生の中学年くらいになると、時代はテレビゲームなどの電源系が大フィーバー。今でも覚えていますが、自分の中でかなりの激震が走りました。と、同時にアナログゲームはダサいと次第に封印。無性で何とも移り変わりの早い子ども時代(笑)そして、好奇心が最も散漫していた時代だったと思います。

 

 それから、時代は何周と繰り返して、今またまさにダサいと思っていたアナログゲームへと返り咲き、昔、自分の親がしてくれていたように、今度は私が子どもたちとゲームを楽しむ日々。

 

子供たちはそれなりに知恵もついてきているので、私自身、本気で負けそうな時もあるのですが、でもどうしても負けたくない大人げない自分もいたりするので、いつも真剣(ヒヤヒヤ)そのもの(笑)

 

そんな時ふと「私の親はわざと負けてくれていたんだな~」と親の器の広さを改めて感じさせられます。しかし、今では自分が親になったのに、わかっていながらもそれがなかなかできないのですよね。子どもの頃、兄弟や友だちとは常に真剣勝負だったので、わざと負けることに慣れていなかったのかもしれません。でも、子どもが悔し泣きをしている姿をみて、ようやく「やりすぎた~ごめんよ~」と我に返って反省。

 

きっとこうして毎日、子供たちと就寝前の儀式をしながら、実は自分の中の幼い自分ともう一度遊び直しつつ、自分自身の明日への活力をもらっているのかもしれません。 

 

子どもとの遊びの時間って、子どものためだけのものではなく、親にとっても、とてもとても大切な時間のような気がします。

 

『AI』と『人間』の仕事は分業として考えてみる。

いつも、ご来訪ありがとうございます。f:id:yumedokei:20170927141818j:plain自分の好きなことを仕事にして行くのが当たり前」

そんな時代が近いうちに到来しそうな気がします。

 

まだまだ青写真のような扱いをされていますが、ゆくゆくはAI(人工知能)が、今まで人間がやって来た仕事を変わってするようになるので、単純作業やあまり人気のない仕事などはAIに全て任せるようになって行くそうです。

 

しかし、全ての仕事をAIが賄えるわけではなく、もちろん人間にしかできない仕事もたくさんあるわけで、特にクリエイティブ(創造的)なことは人間が得意としている分野でもあり、これからはそのあたりがキーポイントになって行くのではないでしょうか?

 

自分の好きなことを仕事に結びつけるなんて、ごくわずかな人での話だと思っていましたが、AIが本格的に人間から仕事をシフトしていくようになれば、人間がすることと言えば、遊んでいるか何かを創造していくしかないような気がするのです。

 

今まで、趣味で終わらせていたもの、興味があって時々やっていたことが実は、自分の強みになり、ゆくゆくはそれを仕事にしようと思う人も出てくるかもしれません。

 

なぜ、そんな根拠があるようなないような話(笑)を書いているかと言うと、私が最近購入した本や有名人の雑誌のインタビュー記事など、そして実際に周りの人達と話していても皆何となく薄々気が付いているようで、そのような時代がいつ来てもいいように水面下で着々と下準備をしている様子を伺い知る機会が多くなったからです。

 

それと、夫が転職を考えていた時、知り合いに相談した時の話です。

 

「ロボット作ってみませんか?」

 

と、いきなり打診されたので、何のことか詳しく聞いてみると、どうやら、今後あらゆるものがAI化されて行くにあたり、ロボット技術やロボット需要もますます高まるので、そちらでの人手不足が懸念されているとのこと。

 

夫の知り合いの方は、その業界の人達とのパイプをたくさん持っていて、いろいろなところから人を紹介して欲しい言われているそうです。

 

しかし「いつかは、そのロボット技術すらAIに奪われる可能性はあるけれど」と笑って言っていたらしいのですが、夫は笑えなかったみたいです(笑)

 

残念ながら、夫はロボットにはあまり興味がなかったので、断ったらしいのですが、そのようなことが身近で話されているということ自体リアルだなと思いました。

 

 

AIがこれから導入されていくと言われている分野は、掃除・洗濯・などの家事全般、子育てや教育と介護、そして、車の運転はよく言われていますよね。

 

また、今後はあらゆる職場にロボットが導入されると予測されているので、面倒くさい作業は全てAIに任せるようになり、その後は多くの人間が職を奪われるようになるそうです。

 

まだまだ先の事と思うかもしれませんが、AIは身近なところですでに使用されています。

 

例えば、ゲームの開発や予定管理、クレジットカードの不正使用検査、また、新聞のコラムもAIが書いているという話も聞きます。

 

そして「2045年問題」というものがあるそうです。

ご存知でしたか?

コンピュータ技術が今のペースで発達し続けると、2045年の時点で、人類の知能を超える究極のAIが誕生するらしいのです。 

 

現在の時点で、AIの到達の時期が明らかになっているので、避けて通ることはできないのかもしれません。

 

しかし、人間とは、今まで体験してきていないものに関して、抵抗を感じる生き物です。

 

私も未だに往生際が悪いですが、携帯はガラケーです。スマホを電話代わりに使うのはまだまだ受け入れることの出来ない自分がいます(笑)

 

そして、今ではガラケーを愛用していますが、携帯電話を受け入れるのに抵抗があった時代もありました。しかし、もう携帯のない時代には戻れません。

 

数年前までは、スマホがいくら流行っていても、ガラケーの時代は終わらないとまで思っていました。しかし、もうすでに生産中止。しかしガラホでは嫌なのです(ガラケーがいい)。でも、いつか本当に受け入れなくてはいけない時期が近づいていることはわかっています。

 

と、私のガラケー話は置いておいて、

 

人間の歴史は、変化の連続です。

しかし変化を嫌い、そこで留まる人生ももちろんありだと思います。もしろ、実際私もそっち寄りです。

 

しかし、大きなチェンジは避けられたとしても、数々のマイナーチェンジは無意識に受け入れていて、そして当たり前のように振る舞い、そして成長していることも実はあります。

 

なので、変化の波に乗る・乗らないの二択を論じるよりも、大きな波が訪れた時の対処法をいくつか考えておくことの方も必要なのかもしれません。

 

これから、多くの職業が消える可能性はあるでしょう。

 

しかし、その分、新たな職業だって生まれる可能性はあります。

 

とりあえず、これからも人間がこなしていける仕事は、

●ロボットの運用及び教育

●高度な接客

●芸術・スポーツ・ショービジネス

●哲学や文学や思想、宗教

が、挙げられているそうです(他にもたくさんありますよ)。

 

未来は未知数です。

AIが苦手としていることは、きっと人間にとっては得意とすることも多いと思います。

 

冒頭でも書きましたが、これからは自分の好きなことや楽しいと思えること、人間にしかできないことにエネルギーをシフトしていき、AIの導入を悲観的にとらえるのではなく、苦しいことや苦手なことは全てAIに任せ、そして、人間が人間らしく生きていけるツールとしてAIを利用していければいいのではないかなと思います。 分業作業として。

 

私も、好きなことを少しずつ整理しながら、今後の人生を模索していきたいと思っています。

これからは『好きなこと』をして生きる時代。

いつも、ご来訪ありがとうございます。

 

 毎日、好きなことだけやって生きて行きたい!

 

そんなことばかり、考えながら生きてきた気がします。

 

でもそんなこと、声に出して言ったら「わがまま」「身勝手」と言われるのが目に見えている…。

 

と言っても、声に出して言ったことはないので、親にも友だちにも今まで言われたことは、一度もありません。

 

ただ、世間がそういうものだと、物心がついた時から感じていて、完全に自分自身で心にブロックしていただけのような気がします。

 

 

私は本屋さんが小さい頃から大好きで、それは大人になった今も変わらずで、時間さえあれば、買う買わないに関わらず、とりあえず本屋さんに行くようにしています。新書が出ているとウキウキするもので(笑)

 

そして、最近はとても魅力的なタイトルの本がたくさん並んでいるなぁといろいろ目移りしては、ちょい立ち読みを繰り返しています。

 

そこで、最近感じたのが、ちょっと前までは『ザ・自己啓発本』的な本が多かったのが、いよいよ来たか~と思わせるような『ザ・自己肯定本』的な本が増えてきたな~と。

 

自分の中に元々持っていた(封印していた)思いをさらけ出し「もうそろそろみんな正直に生きて行っていいんじゃない」と、それぞれの心のドアをピンポイントでノックするようなタイトルの本が増え、そして売れているような気がします。

 

まるで「あなた、今、本当に好きなことしてる?満足している?」と読者に問いかけているかのように…。

 

表向きでは「好きなことをする」= 素晴らしい

でも、実際に「これからこうして生きて行く」または「いつかはそうやって生きて行きたい」と公言すると、どうしても頭打ちされてしまう。そして、公言する方も何故か罪悪感を感じてしまう。

 

でも、否定する人というのは、たいていが大人だと思いませんか?

子どもはそんなことはあまり言いませんよね。

何故なら、好きなことをして生きているから(守られているからというのもありますが)。

 

大人の人は、たくさん経験してたくさん失敗して現実を知っている。そして、そういう話もたくさん聞いている。

だから、そういう人を見ると無謀に見えてしまい、体験談含め、どうしても助言したくなる。

あらかじめわかっているから、自分たちと同じ思いをさせたくないという親切心からの助言。

 

もちろん、助言はありがたいことです。自分のためを思って言ってくれていると思うから。

 

でも、結局は人は人。自分は自分。

自分は人の人生を生きているわけではありません。

自分自身を生きるためにこの世に誕生し、たくさんの冥土のお土産を引っ提げ、引き際を自分自身で決めこの世から去ります。それはこの世の揺るぎない真理です。

 

なので、誰も自分の人生のその後を知る人はいません。しかし、人生を自由にデザインする権利は誰にでもあるはずです。

だから、その先には失敗もあるかもしれないけれど、成功もあるかもしれない。それは誰にもわからない。

また、失敗したとしても、その失敗から何かを学んで、次に向かって進むこともできるかもしれない。

それにしても、そもそも、失敗って何だろう?

もしかしたらそこで、学ぶことが出来なかったことや自分本位でリセットしてしまうことかもしれません。

 

まずは、自分自身と向き合い、自分の声に耳を傾ける。

そして、自分自身の「好き」を知る。

「好き」を知って「好き」で満たされていくと、自分のしたい方向性がはっきりと見えてきて、今まで理想だと思わされていたものが現実に近くなって行きます。

 

私は、やりたいことがポンポン浮かんできてしまうので、逆に何が好きなのかがわからなくなってしまう時があります。

でも、どれもこれもがきっと自分の好きなことで、限定してしまうと逆に辛くなる気がするので、丸ごとを受け入れることにしています。

恥ずかしながら、どれもこれもが中途半端だったりするのですが、同時進行に多くのことが進んでいる場合もあるので、正直な話、どれかを捨てても大丈夫という安心感があります。

 

特に「好きなこと」「やりたいこと」などと限定しなくても、次から次へと興味のあることに意識を向けて見れば、いつかわかる時が来るかもしれないですし、もしずっとわからなかったとしても、後悔だけはないと思うのです。

 

そして、自分の心に従っているという満足感は得ることができると思います。

 

今は、本来の自分・本当の自分に戻って行く『回帰の時代』に入ってきているのではないでしょうか。

 

「アナと雪の女王」でも歌っていますよね。

サビの部分(想像してくださ~い)。 

 

 

みんなが、それぞれ「好き」で満たされ、そのままで生きていければ、争い事も少なくなると思うし、もっと優しい社会になれるのではないかと思います。

 

誰だって、争い事よりの楽しい事の方が好きに決まってますものね。