【ライフヒストリー】は過去の自分と対話ができるツール。
いつも、ご来訪ありがとうございます。
「ライフヒストリー」という言葉を聞いたことはありますか?
ライフヒストリーとは、
個人の一生の歴史。社会学や文化人類学では、文化や社会を理解する資料として、聞き書きなどの方法により収集される。生活史。
大辞林 第三版より
「自分史」と言うと、イメージが湧くかもしれません。
今の自分自身にフォーカスすると、全ては、過去での経験や選択そして記憶から成り立っていることに気が付きます。
逆に言えば、過去の自分が、今の自分を作っているとも言えるのではないでしょうか。
しかし、実際に過去を辿ったとしても、実は曖昧で決定的な証拠というものはありませんので、自分自身の記憶の解釈だけが頼りとなってきます。
ですが、自分自身を振り返るきっかけがあれば、記憶の整理をすることは可能です。
そして、過去の自分自身との対話をする機会もあるので、今まで気が付くことのなかった自分や忘れていた自分をもう一度呼び起こすことができ、今の自分との繋がりを再認識することができます。
過去の自分を知り、そして再確認することによって、現在をより有意義に過ごすことも可能だということです。
そこで、ライフヒストリーの存在意義が問われます。
私は実家に帰ると、母の生い立ちを自ら聞きだすことがあります。
母が、どういう思いで幼少時代を過ごしてきたか。
母が、願っていたことは、何か。
お友だちや周りの環境。
母と家族との関係など。
ストレートな質問というよりも、何となく「お母さんが子どもの頃の話で覚えていることを教えて」というような入り方で、その後は、本人が覚えていることや言いたいことを基本的には口を挟まず、ただ聞いているという感じです。
ですが、時々、聞き捨てならない、貴重な歴史(個人的な)や時代背景などが聞けるので、目をまん丸にしながら掘り下げて質問する時もあります。
まさに「生き歴史」とでもいうべき、教科書には絶対載らないような民俗的な話もサラリと話してくれるので、何度ボイスレコーダーを持って行こうかと思ったことか…。
次回は、持って行こうと思います。
そして、そのような話をしている時の母の姿は、まるで私の幼少期の頃の母のように若々しく、そして凛とした面持ちで話すので、眩しく見え、私は嬉しくなります。
少なくとも、現在の話をするよりも、昔の話をする方が、イキイキとしていて、つい昨日の出来事のように記憶を引っ張り出しては、饒舌に話をしてくれます。
時々嫌な顔(何かを思い出して)もしますが、遠い目をしながら、物思いにふけるような仕草もみられます。
その姿は完全に過去にタイムスリップしているようです。
いつか、というか母が健在のうちに、もっとたくさんの話を聞いて、母だけのライフヒストリーを作ってみたいと思っています。
今、ご高齢の方には、戦争の体験もされている方もまだ多くいるので、語り部さんのように、貴重な話をたくさん持っているはずです。
そして、それを知らない後世の世代へ伝承することによって、聞く側にも大きな何かを得ることができるので、相互においてもプラスになります。
その架け橋として、ライフヒストリーはとても意義のあるものだと思っています。
また、ライフヒストリーは、ご高齢の方だけが対象ではなく、人生を歩んでいる全ての人が作ることができます。
もし、自分自身をふり返りたい時、もしくは自分自身とは?と立ち止まった時、是非ライフヒストリーを作ってみてはいかがでしょうか。
自分の歴史年表のような形式でもいいと思いますし、時代背景と照らし合わせながら、当時の記憶を思い出したところから書いてもいいと思います。
書き残すことに意味があると私は思います。
私は、記憶が曖昧のままでいる幼少期を母から聞きながら、自分自身のライフヒストリーも作ってみようと思っています。
先日書いた、活版印刷機の記事は、母にとっても、私にとってもライフヒストリーの一部になっています。
親子でのライフヒストリーを作成する場合、子どもにとっては自分自身のルーツを知る足ががりにもなると思います。