人生☆ポップアップ

ヒラメキ・トキメキ・ワクワク…感じたことを素直に表現するためのブログ

アートセラピーを始めました。

ご来訪ありがとうございます、hacoです。f:id:yumedokei:20180126113645j:plain

前回、心理学を通して、アートセラピーにたどり着いた経緯を少し書きました。

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アートセラピーとは、簡単に説明しますと、

 

絵を描いたり、コラージュ制作をしたり、粘土やさまざまな造形を素材を用いて、自己表現を行い、それらの作品を通して、自分の思いや感情を表現し、自分自身の気づきや洞察を得て、理解し、心のケアを行う芸術療法のことです。

 

 

アートセラピーは、視覚言語を媒体に用いるため、自分の気持ちをうまく表現することができない子どもや老人などをはじめ、さまざまな人でも感情表現とコミュニケーションの手段として、活用することができます。

 

特に、悲しみや怒り、または苦しみなどは言葉で表現することに躊躇をしたり、また他者に誤解や不快を与えてしまうので、自分の中だけで飲み込んでしまう場合もあります。

 

しかし、アート制作を通し、感情や思考をいったん作品という形で外在化させることにより、距離を置いて、自分の気持ちや考えを見つめることができます。

 

こちらの本は、アートセラピーの事例がたくさん掲載されていて、とても参考になります。

 

そして、アートセラピーの特徴は「治療を受ける」「癒してもらう」という受け身ではなく、本人自身が癒しの主体であるということです。それは、芸術療法全般にも言えることかもしれません。

 

芸術療法の中には、音楽療法というものもあります。

 

随分と前ですが、「ライアー」という竪琴(ハープ)が、ドイツで治療目的に使用されている話を聞きました。処方箋も発行されるそうです。実際に音も体感したのですが、その音は爪弾いている本人かすぐ近くの人にしか伝わらないくらいの小さな音なのです。しかし、本来の目的は、人に聴かせることではなく、弦を爪弾く行為そのものなのです。木のぬくもり(フレーム)や指の感覚、振動そして余韻、全てが爪弾く人の心の為だけにフォーカスされているのです。ですので、聴いている他者のことは一切気にすることはなく、自分自身でハープの調べを感じながら、自ら癒されていくことが最も重要なのだそうです。

 

アートセラピーと共通しているところがありますよね。

 

他者からの評価やジャッジを一切気にすることなく、自分自身で癒されることって、実は、本当に小さな赤ちゃんの時以外、なかなかないのかもしれません。

 

私は時々、描画アートセラピー(絵を描く)をうちの子ども達にするのですが、小学一年生の子どもですら、最初の一歩に躊躇する時があります。でも、模範解答があったり、上手い下手のジャッジもないので、本当は、小学一年生なら落書き感覚で楽しく描いても良さそうな気もするのですが、すでに頭の中でいろいろなことを考えているのでしょうね。

 

なので、うちの子の場合、まずはそこの苦手意識(ブロック)の解放から始めます。絵を描く前に私自身が落書きをすると、子どもも同じようにまねをするので、そこから徐々にワークに入ります。でも、落書きにかなり時間を費やす場合もあり、もちろんそれだけで終わったりする時もあります。

 

落書きって無意識なので、実は大人でも楽しんですよね。いたずら書きなんて、子どもの醍醐味みたいなものではないでしょうか(笑)

 

実は私自身、絵心は全くありません。そして特に美大に行っていたわけでもありません。

 

ですが、絵を描く(行為)は大好きです。

 

私が絵を苦手にならなかった理由は、今でもはっきり覚えています。

それは、5歳の時。

新築の家を建てたばかりで(狭小住宅ですが)子どもたちに傷をつけられないようにと、普通なら神経質になってもおかしくないのに、母親は、新築特有の独特な匂いがまだ漂っている入居当初に、汚れひとつない真っ白い壁を指差しながら、

「淋しいから何か絵を描いてみたら?

と言いました。

 

もともと、いたずら書きには躊躇しない私でしたが、その言葉には耳を疑うと共に、子どもながらに引いた記憶があります。

 

しかし、初動で太陽をオレンジのクレヨンで申し訳なさそうに描いていたら、母から、

「まだ余白がいっぱい残っているよ」

 

と、言われたことをきっかけに、堰を切ったように、ありったけのクレヨンで壁に落書きをしました。

 

その時の爽快感と言ったら…言葉では言い表せませんが、今でもその気持ちはずっと覚えています。

 

そして、母は私の絵を見て、

「子どもの絵っていいね」と

ひとこと、言いました。

 

私は小学校に上がっても、時々、その壁に落書きをしていました。時には水彩絵の具を使ったり、あるいはマジックで言葉を書いてみたり。

 

いつしか私のストレス発散の場となり、アートというよりもむしろ私の落書き帳のような存在だったので、真っ白だったキャンバスの壁は、みごとに黒板へと変貌を遂げてしまいました。

 

ただ、その間、何も変わることがなかったのが、同じ部屋にある母が内職で使うミシンでした。一日の半分は、常にカタカタと音が鳴り響いていたのを覚えています。何十年と続く自宅のローンのために。

 

私は、母がミシンを使っている時間、無意識にその部屋に入り浸っては、壁に落書きをしていました。

 

そして母は、一息つくたび、壁を眺めては微笑んでいました。

 

 

しかし、中学生で思春期迎えた頃、私はその絵を見る度に恥ずかしくなってしまい、お小遣いでアイボリー色のペンキを購入し、家族がいない間に、落書きが見えなくなるくらい、壁一面を塗りつぶしてしまいました。

 

母は、おそらくそれを見て残念な思いをしたと思います。でも、怒ることはしませんでした。

 

母は、ずっと私の成長を坦々と見守ってくれていました。

 

今は、その家からは引っ越してしまい、その壁すら見ることはできません。

 

しかし、時々、思うことがあります。

 

何事も自分自身で気が付かない限り、前には進めないということ。

しかし、きっかけさえあれば、いつでも前に進むことができるということ。

 

よく、「アート」は自分自身を投影するものだと言います。

 

なので、私の中では、上手い下手の基準よりも、自分が楽しいか楽しくないかという方がとても重要で、これはアートに限らず、全ての原動力において言えることだと思っています。

 

当時、一番、身近だった母が、私の絵に対して、上手い下手のジャッジをすることなく、楽しく描いている行為そのものを肯定してくれていたと勝手に思っているので、実際、一向に絵は上手にはなりませんし、今でも小学生が描くような女の子(お姫様みたいな)の絵で止まったままです。癖がずっとあの頃のまま(笑)

 

ですが、絵を描く楽しみは人一倍感じているつもりです。

そして、自己表現の爽快感も。

 

「好き」を「楽しさ」をそのまま肯定してくれた母には感謝しています。

 

子どもの頃に感じたワクワクやキラキラは誰にでも平等にあって、そして永遠だと私は思うのです。

 

これからも、アートセラピーの良さをお伝えして行けたらと思っています。

 

 

 

アートセラピーに興味を持たれた方へ

クレヨンや色鉛筆を使って、楽しくお絵かきをしながら自らを見つめ、自らで気づくワークです。得意不得意、上手い下手は一切関係ありません(やるとわかります)。こちらからのジャッジもないので、心の赴くままに童心に戻った気分で描くことができますので、是非モニターさんとして参加してみませんか?

 

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●神奈川県近郊の駅近のカフェにて(お飲み物は各自で注文)

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※時間は目安です。

※今後の参考にさせていただきたいと思っていますので、簡単なアンケートにご協力いただけますと嬉しいです。

日にちや時間は、お互いの都合の良い日を相談しながら決めさせていただきたいと思います。 

 

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